自然素材と、やすらぎの周波数



── 家が、リトリートになるとき

外に出ることで満たされていた「休みの時間」

休日というと、以前の私は当たり前のように
「どこかに出かけるもの」と思っていました。
好きなお店をのぞいたり、美味しいものを食べたり。
そんなふうに外の世界に触れることで、
リフレッシュしたり、また明日から頑張ろうと
思えたりしていました。

こうした“外に向かう楽しみ”は、
わたしたちの社会が丁寧に用意してくれているものでもあります。
余暇にぴったりのレジャー、心をくすぐる商品、
素敵なサービス……それらは、わたしたちの
「休む時間」を支えてくれる大切な存在です。

人と会わず、どこへも出かけず、
何かを買うわけでもない、そんな時間にこそ
心が深く安らぐ瞬間がある。
最近は、そう感じる時間が少しずつ増えてきました。

たとえば、部屋でお茶を静かに飲む時間。
誰にも気をつかわず、音の少ない空間で
ただ“わたし”に戻っていくようなひととき。

「やすらぎ」は、どこかに“ある”ものではなく、
“選び取るもの”なのかもしれない——。
そんな静かな発見から、暮らしの選び方が
少しずつ変わっていきました。

1. 外向きの楽しみと、内に戻る静かな時間

わたしたちの社会には、「楽しみ方」が
あらかじめ用意されています。
特に休みの日には、その選択肢がたくさん並びます。

旅行に出かける、ショッピングに行く、
外食を楽しむ、エンタメを味わう。
いずれも心を満たしてくれる
大切な時間であり、そうした体験を
提供するために、さまざまな産業が
支えてくれています。

けれども、暮らしのなかでふと
「自分でくつろげないのかな?」と、
立ち止まる瞬間がありました。

お金を払って誰かに癒してもらうよりも、
静かな空間で、自分の呼吸や感覚に
意識を向けることのほうが、
ぐっと深く、心が整うような気がしてきたのです。

内側の静けさは、にぎやかな外の時間では
気づきにくいものかもしれません。
けれど、自分と深くつながり直すような
「やすらぎの時間」は、思っている以上に
シンプルなものだったりします。

それは、特別な“体験”ではなく、
「感性の調律」のような時間——。

何を着るか、どんな音を聴くか、どんな素材に触れるか。
日々の暮らしをどう整えるかが、わたしの
内側をやさしく導いてくれるようになったのです。

2. 暮らしの中に「自然素材」を迎えるという選択

暮らしの中で感じる“静けさ”を育てていくうちに、
わたしの意識は少しずつ
「どんなものに囲まれていたいか」へと
向かっていきました。

いつの間にか、ものを選ぶときには、
ビジュアルや機能だけでなく、
素材の質感や、手に取ったときの感覚を
重視するようになっていました。

たとえば、ゴミ箱。
プラスチック製のものから、
自然素材のものに変えたとき、
ふと、その場の空気が柔らかくなったように
 感じたのです。

収納箱、カーペット、カバー——
いまは、麻や綿、竹など、できるだけ天然素材のものを選ぶようにしています。

手に触れるたびに「ほっ」とする。
視界に入るだけで、目が疲れない。
そこにあるだけで、まるで家の中で
自然に包まれているような感覚を覚える。

たしかに、こうした自然素材のものは、
プラスチック製品に比べて価格が
高く感じられることもあります。
けれど、使い込むほどに
表情が変わっていく素材の味わい、
時間とともに色合いが深まり、
埃が被り方もプラスチックや合板とは
違うようで、「これは、長い時間を
ともにできるものだな」と
思うようになりました。

見た目を整えるためのインテリアだけではなく、
空間の波を整えてくれる“存在”としての道具たち。
そうした選び方が、自分の感性を
守ってくれるようになったのです。

3. 素材が持つ“周波数”という視点

わたしが自然素材に惹かれる理由のひとつに、「周波数」という考え方があります。
これは、素材や物質が持つ
エネルギーの波動のことを指し、
スピリチュアルやエネルギーワークの分野で注目されている概念です。

実際に、いくつかの研究や測定例では、
天然素材の周波数が数値として示されています。
例えば、リネン(亜麻)は約5,000Hzという
高い周波数を持ち、オーガニックコットンは
約100Hz程度とされていることがあります。

一方、化学的に加工された布やプラスチックは、40Hz以下という
低い周波数の値が報告されています。

この数値は、アメリカやヨーロッパの一部の研究者が、特殊な装置で
素材のエネルギー波動を計測したものです。

ハイディ・イエレン博士という研究者は、
こうした周波数の違いが人体の調和や
癒しに関係すると提唱しています。

ただし、こうした研究は主流科学の中では
まだ確立されておらず、エネルギーや
波動の概念を受け入れる人々の間で
広まっているものです。

それでも、わたしは実際に麻や綿、竹の持つ
独特のやわらかな手触りや
空気感に触れたとき、身体が自然に
緩んでいくのを感じます。

これは、単なる気のせいではなく、
素材の持つ高い波動がわたしの心身に
響いているのかもしれません。

素材が持つ波動が、わたしたちの内側に
静かな影響を与えてくれる——
そんな見えないけれど確かな繋がりを
感じることが、わたしのやすらぎのひとつなのです。

4. 家の中で“わたしに還る”方法

わたしがやすらぎを感じたいとき、
まず意識するのは「外に出る」ことではなく、
今いる場所を、どれだけ心地よく整えられるか
ということです。

たとえば、明日が休みという日、
いまは「どう過ごしたいか」に意識を向けるようになりました。

何もしない時間。
好きな音楽を流し、お茶をゆっくり味わう。
そんなシンプルな時間の中に、
思っていた以上の深い癒しがあります。

家の中で疲れがとれないなと感じるときには、
光や音、香り、空気の流れ、ものの配置など、
「五感」がどう感じているかを見直してみます。

明るすぎる照明をやわらかな間接光に
変えるだけで、気分がふっとほどけたり

音を静かにして、ラベンダー、ユーカリ、
レモングラスや木の香りを漂わせると、
身体の奥がゆるむような感覚になります。

ものが多すぎるときには、少しだけ減らしてみる。
視界に余白が生まれると、頭の中にも
余白が広がっていくようです。

そして、そこに自然素材のものがあると、
さらに深くリラックスできる。

肌になじむ綿や麻、目にやさしい竹や木の質感。

それらが空間にあるだけで、
「ただそこにいる」という時間が満ちていくのです。

“リラックスしよう”としなくても、自然と呼吸が深くなる。
そんな「還る場所」が家の中にあることは、
わたしにとって大きな支えになっています。

わたしにとっての「豊かさ」は、内に育つもの

自然素材のものは、たしかに最初は
少し高く感じることがあります。
でも、使うほどに馴染み、色合いが深まり、
埃の被り方もプラスチックや合板とは違うようで
時間とともに“育つ”ような感覚があります。

それは、「使い捨てるもの」ではなく、
「寄り添ってくれる存在」になるということ。

わたしの暮らしの中で、そんなふうに
共に呼吸してくれるものたちに囲まれることが、
いつの間にか、本当の意味でのやすらぎに繋がっていました。

かつては、休むために外へ出て、
何かを買ったり、体験したりしていました。
それも大切な時間だけれど、いまのわたしは、
静かに“整えていく”ことから得られる癒しに惹かれています。

見た目の美しさだけでなく、
空間の波がやさしくなっていくような、
五感をやさしく包み込むような選び方。

「高い」「贅沢」と思っていたものが、
実はわたしの内側に豊かさを育ててくれていると感じます。

少し、素材を変えていくこと。
少し、好きな色に変えていくこと。
その積み重ねが、わたしの空間を、
わたし自身を、ゆっくり整えてくれます。

安らぎとは、どこか遠くにあるものではなく、選び取るもの。
それが、わたしの暮らしの軸になっています。

そしてここでも、一旦自分の望んでいる物事が明確になると様々なところでシンクロニシティが起きていることに気づくのです。


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